運などない。勝ちも負けも『成るべくして成った結果』だ
運などない。
勝ちも負けも『成るべくして成った結果』だ。
確率の範疇を超える《奇跡》なんて起こらない。
今、運が良かったと思えることも
数年後に思い返せば大したことではなかっただろう。
運命は決められている。
我々は決められた運命に向かって歩くだけ。
ここは現世だと「思い込むこと」。それは最大のポジティブである
この世界は地獄だというのに。
我々はこの「地獄」を「現世」だと思い込んでいる?
実は我々は死んでいる。
そして、この地球という名の「地獄」に存在している。
そこは世界の底辺ではあるが、知的生命体である人間はそれを認められない。
生きる希望がなくなってしまうから。
だから、この「地獄」を「現世」だと思い込ませ、洗脳させることにした。
でなければ「労働」「金」「時間」「権力」「格差」に支配された、
この劣悪な世界の説明がつかない。
バカみたいな考え方だが、あながち真実かもよ?
人間は何のために「競争」するのか
なぜ、人間は競争し、世界を効率化するのだろう。
人間は70年しか生きられないのに、時間に縛られた苦しい世界を選択している。
《競争》があるから《効率化》求められる。
生産するほどお金を得られるから、みんな競って効率を求めざるを得ないのだ。
人間の存在する理由が「繁栄するため」であるのならば、
スマホやVR、電車や飛行機、便利な物はなんでもあるのだから、
これ以上、効率化する必要ないのでは?
結果、後世の人間たちに《新技術》を託せるが、
時間が切り詰められた不自由な生活を強いることになる。
宇宙を巨大なデータセンターと考える
宇宙=ひとつのデータセンターと考える。
地球=サーバは、突然消滅する可能性もある。
宇宙=データセンター自体がなくなり、ビッグバン前の宇宙が存在しない《無》に還るかも知れない。
宇宙=データセンターは、他にもあるかもしれない。
SE=専門家でもなにが起こるか予測できない。
痛みも感じずに、誰も気づかないまま宇宙が消えるかも知れない。
私たちは何故、サーバにしがみついて必死に生きるのだろうか。
桜の命
幻想のように白と桃で彩る小道。
春の大雨は容赦ない。
一夜でその幻想を全て奪い、緑の日常に戻してしまう。
まるで希望に浮かれた人間達の目を覚まさせるかのように。
なぜ桜はこれほど美しく花を咲かすのだろうか。
なぜ? 何のために? 誰のために?