コーヒーのないコーヒー店

どこもかしこも人がゴミのようだ。

 その縮図が《カフェ》だと考える。

 

 痛いニュース(ノ∀`) : スタバが満員で帰ろうとした女性 おじさんが一言「どいつもこいつも飲み終わってるだろ!ここはパソコン教室じゃない!」 - ライブドアブログ

 

お金に余裕ができ、ロボットの恩恵もあって自由な時間が増えた現代。

暇を抱え、行き場をなくした人間達が都会に押し寄せる。

 

カフェは常に満員。

カフェのガラスウィンドウの中に映るは、醜く密集し合い、スマホやら本やらMacやら各々の世界に没頭する人間達。

 

今のニーズは、《席 > コーヒー》なのだろう。

「味なんてどうだっていい! 空間に金を払ってやっているんだ」

だが、このままフリーランスやらオフィスなしの企業が増えていくと、コーヒー店の席は常にカンスト、回転率が悪化し売り上げダウン、閉店続出、行き場を失った人間は次のカフェへ移住する。

負のスパイラル。カフェはお洒落感を失い、コンビニ(便利)化してしまう……。

 

今こそ、コーヒーの無いコーヒー店をつくるべきではないか?

広い空間だけを売るビジネスが、コーヒー店と本当にコーヒーを堪能したい人を救うと思う

(2020オリンピックが終われば、腐るほど空き室が余るのではないか)

 

あるいは、《夢の中で本を読む仕組み》を創り出してくれ。

空間という概念がない世界で、狂うほど本を読み続けられたら、どれだけ幸せだろう。

夢から二度と目が覚めなくてもいいとさえ思える

 

働くために生まれてきたのか?

 

人は何のために生まれてくるのだろうか?

 

今思うと、大学の頃までは夢と希望に満ち溢れていたと思う。

何も知らないから、毎日それなりにワクワクする世界だった。

 

大人になり、社会の一員となると世界の際限が見えてしまう。

ほとんどの人間は、「お金」のために生きていることが分かる。

そしてこう思う。世界ってこんなにつまらなかったか??

 

お金がほしいから、7日のうち5日も働く。

 ーー大切な時間を会社様に捧げていることに、なぜ疑問を持たないのか?

お金を増やすために、株やらマンションやらにお金や時間を投資する。

 ーー今ある幸せを我慢して、おっさんになった後の贅沢を妄想して楽しいか?

読書離れが進んでいるというのに、いらぬビジネス書やらが書店に陳腐する。

 ーーどれも同じような内容なのに、なぜ人が蔓延るのか?

仕事のために嫌いな飲み会やら、自己研磨やらに勤しむ。

 ーー別に自分がいなくとも、替わりはいくらでもいるだろうに。

 

知らないことすら知らなかった頃。

人間は案外、無知でいる方が幸せかも知れない。

 

私の年はまだ26だが、

これから、これまでの2、3倍の年月をお金のために生きなければならないのか? そう考えると絶望する。

 

生きることに意味はあるのか? お金以外のために生きられるのか?

幸せを手に入れるために生きるのか? 幸せって何だ?

 

幸せとは、結婚をして、子供を産んで、

みんなと同じ様に、生きるために最低限の賃金をやりくりして、

旅行へ行ったり、車を買ったりして、お金と寿命を浪費していくことなのか?

 

いや、全く「幸せ」感がないのだが……(笑)

みんなの生き方にまるで「共感」できない。

結婚? 車? こんなお金の浪費をますます加速させる仕組み、

一体誰が作ったんだよ、邪魔だ。

こんな生き方の「常識」が定着したことも、人間=労働者となった理由の一つだろうか。

 

なんかもう人生飽きてしまった。

だから古い「常識」や「お金」に従って生きることを、放棄してみる。

どんなにディスられまくる10年後になるか。ワクワクして生きるために