人間はこの世界に『支配』されるしかないのだ

神様は残酷だと思う。

人間に素晴らしいものだと称して欲望を植え込んだ。そのことに感謝していいのだろうか? 否。そんなの人間を無理やり生きさせるための支配でしかない。

例えば、

 

『愛』があるから、失いたくない大事なものができ、残された者のために死ねなくなる

『富』があるから、愛する誰かを幸せにするために労働をせざるを得なくなる

『労働』があるから、人間を悩ませ、不自由な人生を送ることになる

『快楽』があるから、それを満たすためにさらに上を追い求める

 

こんな欲望を持つから、この世界に支配されるのだ。

当たり前に深夜まで働いて、眠い眠いと早朝から労働へ向かう者。

平日の朝に蔓延るサラリーマンの群れ。

 

この世界のルールに浸かってしまった者は、

この世界で生きることしか選択肢がないのだ。

 

その点私には、愛するものも、働きたいと思う気持ちも、お金がほしいという欲求もない。

死にたいとも思わないが生きたいとも思わない。

つまらない人生ならいつでもドロップアウトできる第3の選択肢がある。

これが最大の自由だと思わないか?

 

なぜお金のために働くのか? 食料のために働けば生きられるのに

自給自足の生き方ができれば、働く必要はない。

 

だが人間は『便利』を求めすぎた。

結果、たくさんの仕事が生まれて何でもある便利な世界になったが、生活は苦しくなり、自由な生き方も制限されてしまった

 

人間って調子に乗ってね?

 

「労働生産性」を追求することは、『創造力』を奪うこと

人間の時間は有限だ。だから何でもデータ分析をして『最速』を求められる。

 

徹底したタイトなスケジュールは「生産性」を上げるが、

速度にとらわれるあまり、もっと大事な『創造力』を失う。

 

速さはそれっきりだが、品質は未来に残る。

プロは速さでお客を感動させるが、『品質』で感動させるカリスマを目指すべきじゃないか?

 

平等とはレベルを落とした不平等だ

人間は『平等』である必要はないと考える。

 

勝ち組は勝つべくして勝ち、

負け組は負けるべくして負ける。

そして「不平等だ」と世に嘆く。

 

考えて欲しい。

この不平等が解消されたとして、気持ちは満たされるのだろうか?

否。考え方の本質が間違っている。

 

勝ち組と負け組の違いは、『ものの見方』だと考える。

勝ち組は、他の誰もが考えもしない『視点』で世の中を視る。そのためにずば抜けた『観察力』と『感性』を備え持つのだ。

 

不平等を嘆くのではなく、

不平等のレールに乗っている自分を変えるべきだ。

負け組には見えないものを視る観察力、負け組には感じないものを感じる感受性を磨くべきだ。

 

それらは負け組と群れていては決して磨かれない。勝ちたければ負け組を断ち切るべきだ。

 

孤独な者にこそ「不平等」を手にするチャンスがある。

 

仕事で悩む人は『仕事のプライオリティ』が高すぎだ

仕事なんかなくたって、大抵生きていける。

(餓死することはあるが稀な例だ)

 

それなのに、人間は今よりも多くの『お金』を求めて、死ぬ手前まで必死に働く。

そして『人生=仕事』という洗脳状態に陥るのだ。

人生と仕事が直結してしまい、仕事で失敗すると「人生もうダメだ」と悩んでしまう。

 

みんな仕事のプライオリティ(優先順位)高すぎでは?

人間なのだから、自分のやりたいことを自由にやって生きた方が幸せだ。

『お金=幸せ』ではない。

自分が本当にやりたいことを見定めて、そのために最低限必要なお金さえあればいい。

 

お金はやりたいことをやるための道具。仕事はその道具を得るための手段の一つに過ぎないのだから。

 

仕事を『人生のプライオリティ』のベスト5から外すべきだ。

 

運などない。勝ちも負けも『成るべくして成った結果』だ

運などない。

勝ちも負けも『成るべくして成った結果』だ。

 

確率の範疇を超える《奇跡》なんて起こらない。

 

今、運が良かったと思えることも

数年後に思い返せば大したことではなかっただろう。

 

運命は決められている。

我々は決められた運命に向かって歩くだけ。